やさしさのカタチ

やさしさのカタチは
様々だなというお話。

20代のとき。
会社の同僚3人で
ランチをしていた。

「好きな人がいるんだけど、
付き合うか迷ってる」と
同僚Aが言った。

飲み会で出会って
何度か会って
とても気が合って
いいなぁと思ってたら、

その人の仕事が、
ラブホテルの経営者と
いうことが分かって、
このまま付き合えばよいか
迷っているという。 

同僚Bが
「結婚を考えているのなら、
やめたほうがよい
違う人にしたほうがいい」
と言った。

すると、
「やっぱりそうだよね」
同僚A。

このやりとりが
どうにも腑に落ちなくて

私は
「お互いに、
本当に好きなら
付き合えばいいし、
お互いに
結婚したければ
すればいい」
と言った。

同僚Aは
「私の人生をちゃんと
考えてくれて、
同僚Bちゃんは、
やさしい」と言った。

 

٩( ᐛ )و

 

飲んでいた
加糖の缶コーヒーが
ブラックに感じたYO。

 

やさしさ、とは、何か、

自問自答した20代。

 

やさしさ、とは、すれ違い、けり。

M-1 と 浅草キッド

今年も、M-1が終わった。

毎年、M-1を観るときは、
正座の心で真剣に観る。
この4分間の漫才のために


どれだけの時間と心と人生を
賭けてきたのかと思うと、
私のお腹は熱くなってきて
人生を賭けるくらいのものに
出会えた芸人さんたちが
うらやましくなる。


負けたときの表情は
言葉では言い表せない
いろんな感情が
鉛や鉄みたいに
重さで伝わってくる。


「“うらやましい”という
言葉を使うときは、
その人の闇の部分も
感じないといけない。
一面だけみて
“うらやましい“なんて
そう簡単に使っては
いけない言葉だ」


と、昔、誰かが言っていたけど、


闇の部分を感じたうえで
うらやましいと思っている。

いや、むしろ、
闇のほうに魅了されているのだ。
その闇のほうに興味があるのだ。
もっと闇のほうを知りたいのだ。


「泥中之蓮」


美しい蓮の花を咲かせるためには、
ドロドロの泥を含む汚れた水が必要で、

逆に、綺麗に澄み渡る真水では、
ここまで美しく大きな花は
咲かないらしい。

闇の部分を知りたくて、
M-1のあとの反省会や分析を
M-1よりも真剣に観ている自分がいる。

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劇団ひとり氏や
ナイツの塙氏が好きだ。

“孤高”に魅力を感じている。

劇団ひとり監督の
浅草キッド」を観た。

柳楽優弥ビートたけし役が
とてもうまくて、
さすがの役者さんだと思っていたが、


先日、ラジオを聴いていたら、
その裏には、
ものまね指導の松村邦弘氏の
存在があった。

柳楽さんのビートたけし役が
あまりにできなくて、
緊迫した現場に
松村氏が呼ばれたとのこと。

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今回のものまね指導について
松村氏がラジオで言っていたことが
ステキだった。

「僕は勉強できなくて、
頭も悪いんで、
分かるまで教えてもらうと
分かるタイプで

だから、
その人が分かってないのが、
よくわかるんで
丁寧に教えてあげることは
できるんですよね。

学校の先生が、
頭が悪いほうが、
噛み砕いて
教えてあげられるみたいな。

分からない人の気持ちが分かる。
柳楽さんが、
ここで苦しんでるとか
よくわかったから、
丁寧に教えただけというか。

監督が本当に厳しかったから

柳楽くんも、どうしていいか、
分からなくなっていた苦しい状況で、

指導というよりは、
ブルペンキャッチャーのように
土を和らげる気持ちで
やっただけなんですよね」と。

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別のラジオで、大泉洋さんが、

「監督は、柳楽さんに、
本当に厳しくて、
要望や注文がすごいうえに、
よくできても褒めないから、

最後の最後まで、柳楽さんは、
不安で仕方なかったみたいで、


出来上がりの試写会をこわくて
観れないって言っていたんです。

でも、勇気をだして観たら
その出来上がりに感動して
監督が大好きになったって
言ってました。

たぶん、撮影中は大嫌いだと
思ってましたよ(笑)」

と。
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闇が深ければ深いほど、
輝きは輝きを増す。

漫才や映画に限らず、

あぁ、この人いいなぁ
と思う人は

内向的な魅力を感じる。

そうだ、
又吉氏、も、大好きだ。

ひとりでいるときに
どれほどの自問自答を
繰り返しているだろう。

あの内向的な部分が
とてもまぶしくて
惹きつけられて
うつくしくて
やさしくて
癒される。

光っている手にちゃんと気づけるように。

「何らかの形で、自我みたいなものをちゃんと表現に変えないと、生きていけない人間なんだということを感じてたんですよ」3月6日(土)に放送された日本テレビマツコ会議のマツコさんの言葉である。

これは、星野源さんがマツコさんに質問した返答の一部だ。「編集者から文章を書くようになって、人前にでるようになって、どんどん変わっていた中で、どのあたりから、真剣にやるべきだというスイッチが入ったんですか?」というような質問だった。

マツコさんは、何らかの形で、自我みたいなものをちゃんと表現に変えないと、生きていけない人間なんだということを感じ、テレビの仕事も物書きの連載もない28歳のときに、仕事を辞めたという。それから、少しづつテレビにでられるようになって、お昼のワイドショーのレギュラーが決まった35歳か36歳のときに、本当にテレビでやっていこうと思ったという内容だった。

私はこれを観ながら、「自分がどういう人間なのか」という自分への理解度と生きやすさは比例すると改めて思った。

そして、マツコさんは言った。

「人生の変わり目って、手を差し伸べてくれる人がいることをすごく感じている。迷って分からなくなっている人も、差し伸べられた手に気づくくらいの世の中に向き合う気持ちは忘れないでほしい。絶対に光っている手があるのよ。汚いいやらしい手もいっぱいでるんだけど、絶対に光っている手があるのよ。それをつかむ勇気を常にもっていてほしい。そうなると、人生は変わるし、何があるか分かんない。握っておいたほうがいいかもと思う手は握ったほうがいい。」

続けて「ただ、違う解釈をして、詐欺師とかに騙されて、お前のせいだって言わないでよ、そういう話じゃないから。それを見極める力をつけないといけない。そのためには、いろんなものに触れるべきだし、人生に捨てるものはない」と。

これを友人に話すと、友人は「わかる、わかる、露骨にわかる、露骨にやさしい人が現れる」と言った。露骨という言葉の使い方が斬新!

私自身は、うっかり手を握ってみて間違えた!という経験もあれば、光に気づかずに見逃したこともあると思う。また、いま思えば、あれは光っていたのかもと思ったりもする。そして、見逃さなかった手に気づき、握ってきたから、いまがあるとも思う。これから先の人生も、いろんな手に出会うだろう。そのときに、光っている手にちゃんと気づけるように、いろんなものに触れていこう。

そして、自分自身も手を差し伸べる人になろう。

上記は番組の一部です。興味のある方は見逃し配信でご覧くださいませ。tverでは、3月13日(土) 22:59まで配信しています。

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こんな手だったら、分かりやすい。

30歳過ぎの遅い反抗期 父と娘、と、その母。

わたしの反抗期は遅かった。30歳過ぎてからやってきた。一般的に、反抗期は10代だったという場合が多いだろう。私の両親は、母はお店(釣り具屋)をやっており、父は単身赴任が多かった。夕食は大抵ひとり、または21時過ぎ、週末もひとりで過ごすことが多く、孤独を感じる小学生・中学生時代だった。

母は、子育てをしながら、家計の足しになればいいな程度の気持ちで、私が4歳のときに、お店を始めた。母が始めた、というより、父の提案だった。専業主婦だった母は、あまり考えずに気楽に考え、その提案にのった。当時は釣りブームもあってか、予想以上にお客さんがきてくれた。自宅とお店がつながっていた我が家。休日は、朝早く釣りに出かけるお客さんが、朝6時に自宅にやってくるときもあれば、平日の夜は会社帰りのお客さんがお店に遅くまでいた。

自営業は、悠長に子育てしながらできるものではないと、母は、自営業の大変さを思い知っていた。しかし、母の大変さを父は知らず、週末に帰る父とケンカも多かった。父は、母にお店はやめてもいいというが、母はやめなかった。きっと、大変さと同時に、商売のおもしろさも感じていたのではないかと思う。また、父も、売上のあるお店をやめることは惜しいと思っていたと思う。

両親は、私に、さみしい思いをさせていることは感じていながらも、子育てと商売の間で葛藤していたと思う。私は、できるだけ、母の助けになるように、掃除や洗濯などの家事をした。ひとりさみしい気持ちは、ドリフターズや漫才が支えてくれた。しかし、ときには、わざと、接客中の母のところにいって、ご飯をつくってくれと困らせることもあった。そんなことを繰り返しているうちに、だんだん、わたしは、この家にいないほうが、両親も私も楽になると思った。

中学3年生のとき、家をでよう!と決意し、遠い高校を選び下宿をした。わたしには、10代の反抗期はなかった。

30歳過ぎてから、私の反抗期は、いきなりやってきた。自分はまだ大人になっていないような感覚があった。30歳まで都会で一人暮らしをしていたが、田舎に戻ることにした。理由はいくつかあるが、都会に疲れたという感じだろうか。

最初は、普通に暮らしていたのだが、だんだん、両親に、イライラし、わがままをいい、反発するようになった。小さい頃のうっ憤を晴らすかのように、何かと反抗した。これを反抗期といっていいのか分からないが、やり残した反抗期を修了するために帰ってきたのか?と思うほどだった。

ある日、父と大喧嘩になった。私の気持ちが分からない父の態度、これまでの母の苦労も分からない自分勝手さ、自分中心の父の考え方に憤りを感じ、私は爆発して「精神科で治療してきて!!」と言ってしまった。30歳過ぎてからの反抗期は、口も達者で、思春期の反抗期では考えらないこわさがある。言い過ぎてしまったと反省し、落ち込んだ。

それから3日間、口をきかずにいたが、母から電話がかかってきた。「お父さん、病院さ行ってきたってさ」と。え??本当に行ったの?と、私は動揺しながら「どうだったって?」と聞くと、

母は「もう治ったって。初期症状だったみたい」という。「は??精神科で1日で治るなんてないから」というと、「なんかね、泌尿器科にいって、おしっこの出がよくなったってさ」と母。それは、父親の持病であり、毎月通院している病院である。

私の心は母なりのユーモアで慰められ、私は安心した。私の言葉を真に受けて、父親が本当に精神科にいって、本気で気が病んだらどうしようと思ったが、父は、落ち込むことなく、さんまのテレビ番組を観て大笑いをしていた。いや、落ち込む姿はみせなかった。

これを機に、私の遅い反抗期は少しづつ収束していった。恥ずかしながら、やっと、しっかり甘えられたようにも思う。子どもがどんな暴言をはいても、それを受け止めてくれるのだという親の強さと存在に安心感を得たように思う。また「どんな自分であっても”ここ”にいていいんだ」という安心感も得た。”ここ”というのは、”家”でもあるし、”この世の中”でもあるような気がする。15歳のときに感じた「わたしは、ここにいないほうが、両親も私も楽になる」と思った感覚は勘違いだったのよ、と遅すぎた反抗期からのメッセージをもらったようだった。

これからくるであろう息子の反抗期(個人によってはない場合もある)。養育者として、強さとやさしさと、ユーモアと余裕をもって、しっかり受け止めよう。反抗期は子どもが大人になるための儀式だ。

2019年夏:福岡博多旅行。夫と息子と私の両親と、立ち食い寿司にて。

白髪が増えてきた夫と、生活音がうるさい妻

夫の白髪が増えてきた。私が「白髪、増えたね」というと、夫は「家庭内のストレスが多いもので」と返してきた。さらに「あなたの髪は、真っ黒で、うらやましい」と私に言った。いよっ!返しがうまい!なんて言っている場合ではない。

数ヶ月前まで、我が家の朝は騒がしかった。平野レミ氏のような朝だった。ちなみに、私は明るい平野レミ氏が大好きだ。

ある日、夫が言った「朝はできるだけ、静かに過ごしたい」と。私の声は大きく、生活音もうるさい自覚がある。一方、夫は、階段の上り下りの足音をはじめ、ドアの開け閉め、物を置く音も静かで、口数は、私の10分の1である。いや100分の1である。

最初は、夫は神経質だなぁと思っていたが、どうやら、夫は低血圧ということがわかった。また、明るいのはいいことだが、うるさいのと明るいことは別であるし、静かに過ごしたい人にとって、静かに過ごせない朝は、本当にストレスフルだろうと思うようになった。口数少ない夫が「静かに過ごしたい」と、口にだして、言うほどだから、きっと、ストレスをためていたのだろうと思った。そりゃあ、白髪も増えるはずだ。

それ以来、我が家の朝は、スターの寝起きドッキリのように静かである。私は、ホテルの部屋の前で仕掛け人がカメラにむかってする「オハヨウゴザイマス」という、透明な声の意識で挨拶をするようになった。それくらいの意識で、やっと、夫の周波数にあうということを実績として感じている。また、ドアの開け閉めの音がに気をつけ、床を歩く音にも気を付けるようになった。

そんなことをやり続けていたら、ある日、私は、気づいた。これが、うわさのていねい生活というやつなのか!とてもいいじゃないか!!あまりに静かすぎて、たまに、我が家の朝は、葬式か!と思うのだが、いやいや葬式じゃない、これは静粛というんだよ、と、私は心の中でつぶやく。

息子は、出発までの朝の時間に本を読むようになった。私は、朝の瞑想をするようになった。いいことづくめの朝である。穏やかに気持ちよくスタートできるこんな朝の時間があったとは!人生、長生きしてみるものである。

そして、家庭内のストレスが若干減ったのか、こころなしか、夫の白髪の増え方が遅くなったように感じている妻なのであった。

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2018年夏 宮古島旅行

わたしにとっての”はてなブログpro"「楽しく、パチパチ、好きに書けばいいのさ」

はてなブログをはじめて4年目。最初の1年目は無料版、2年目から有料版にした。2年で一括14400円、月単位で600円になる。

はてなブログ有料版にして、ドメインを取得し、google adsenseの申請も完了し、よしがんばるぞ!と意気込んでいたが、途中で書く気力を失った。

その理由はいくつかあるが、最も大きな原因は、オリジナリティを求めすぎていたことだ。オリジナリティ=独創性。辞書によると、

独創性とは、独自の考えで物事をつくり出す能力。また、新しい物事がもつそのような性質

とある。当時の私は、自分の文章や発想に対して、ありきたりだ、平凡だと思ったり、ときに、これはおもしろいと思っても、あまり反応がなかったりすると、自分の才能のなさに凹んでいたのであった。

そのときの自分に言いたい。「どんだけ才能があると思ってるんじゃい!まだ、100記事も書いていないじゃないか、お前は永遠の少年か!」と。

永遠の少年とは”理想を追い求めつつ、それを現実化する力に欠ける大人”のことである。

記事数を振り返ると、無料版だった2018年は50記事、有料版にした2019年は39記事、2020年にいたっては、1記事しか書いていない。

しかも、その唯一の記事は、”更年期おばさんのソロキャンプ ソロストーブ編”というタイトルで、火をおこすための小枝拾いが楽しいという内容だ。唯一の記事が、なぜ、これなのか、謎である。

オリジナリティとは何か?を考えすぎて、自分で自分のオリジナリティのハードルをあげ、こんな高いハードル超えられないよと、ひとり勝手に嘆いていたのである。投げやりな気持ちになり、放置していた「はてなブログ」だったが、2021年1月、意に反して、はてなブログproの自動更新がされてしまったことをきっかけに、また書くことにした。

「ビジネスライターではないのだから、自由に書けばいいのさ。歌でも口ずさみながら、楽しく、パチパチ、好きに書けばいいのさ。」と、スナフキン風に自分を励ましながら、再開したブログ。4年目にして、今日で、やっと111記事目だ。

どこに向かっているのかわからないが、確実にどこかにむかっている感覚にわくわくしているのであります。

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山菜茹でてます。

夫の返事は、概ね20文字以内

少し前に、私は美容院で少し髪を切ってもらった。その髪型を気に入り、私はウキウキしていた。

夕方、帰宅した夫は、私の髪型の変化に気づいていない様子だ。私は、鏡を見ながら、ウキウキ気分を鼻歌で奏でながら、夫に”髪切りましたアピール”してみたが、こちらを見ていない。それから、息子と3人で夕飯を食べながら、私は息子に「今度は、どんな髪型にしたい?」なんて話題を出しながら、遠回しにアピールしてみたが、スルーであった。

男の人は、本当に気づかないんだよなぁ!この微妙な変化に気づいてあげる優しさが、夫婦円満の秘訣なのよ、と思いながら、しびれを切らした私は「あのさ!わたし、今日、髪切ったんだよ!!」と言った。

すると、スマホをみていた夫は、視線をゆっくりこちらにむけて、ため息交じりに「僕は、昨日切りました」と言った。その口数”11文字”。

じぇじぇじぇ!!!よくよく夫の髪を見ると、ほ、ほんとだ!いかにも、昨日床屋で揃えてもらいました!という”もみあげの存在感”、整えられた”毛並みの頭頂部とその周辺”、夫の髪型の変化に、私は1㎜も気づかなかったということに気づいた夜。優しさが足りないのは、夫より自分やないか!と気づいた44の夜。盗んだバイクで走りだしたい気分である。

そして「今後”髪切りましたアピール”はいりません」と夫。その口数20文字。

で、ですね、そ、そうですね!気づいてくれアピールって、周りにとって、ストレスでしかないですわ!夫は私の髪型の変化に気づいていたのだが、アピールがうざすぎて、閉口していたのだ。

それ以来、夫が帰宅するたびに、私は夫の頭をチェックし、心の中で「よしよし、今月はまだ切ってないな」「今日も髪型に変化はないな」など秘かに、夫の髪型の変化に気づく訓練をしていた。

そして!ついに「お!おぬし!今日切ったな!!」と気づいた。私は、やっと気づけた、気づいた自分に興奮しながらも、冷静さを装い、夫に「髪、切った?」とタモさん風に聞いた。すると、

「帽子をかぶってただけ」と夫。その口数10文字。

な、なんだとー!!!という謎の感情がわきあがった。切ってないんかーい!!!帽子のせいで、髪がぺしゃんこになってただけかーい!と心で叫んだ。

それから、我が家では「髪切った?」という話題は抹消された。それでいい、これでいいのだ。

↓<釣りを楽しむ息子と夫>

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「共感覚」痛みに色を感じる小学生

小学生の頃、痛みを感じるたびに、色を感じていた。

世の中のみんなも、痛みを色で感じていると思っていたので、例えば、お腹が痛いという友達に「大丈夫?何色の痛み?」「紫?オレンジ色?」などと話しかけていた。すると、友人たちは「え?」という怪訝そうな反応があるだけで、色で表現してくれることはなかった。それに対して、私も「え?あれ」という気持ちになっていた。

病院の診察でも「すこし薄い青とピンクのような痛み」だと伝えると、医師は「ん??」というような反応で、私は「あれ?なんで伝わらないんだろう」という不思議な気持ちになった。この感覚は母にも伝わることはなかった。

そんなことを繰り返しているうちに、私の感覚がおかしいのかなと思うようになり、痛みを色で聞いたり、伝えることをやめ、封印することにした。という小学生時代を、最近になって思い出した。

思い出したきっかけは、10歳の息子の同級生が「私は人の感情が色でみえるんだ」という言葉だった。最初は、へぇそうなんだと思いながら「おばちゃんの今の感情は、何色に見える?」と聞いたりして、面白いなぁと思ったくらいだった。その後「あれ!そういえば、小さい頃、痛みを色で感じてたな!」と、小学生時代の自分を思い出したのだった。

調べてみると「共感覚(シナスタジア)」という現象らしいことが分かった。共感覚とは”ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意的に起こる現象”と定義されている。

痛みを感じると色を感じるのは、珍しいケースらしく、文字を見ると色が見える「色字」が共感覚の代表で、音を聴くと色が見えるという「色聴」もある。また、味や匂いに色や形を感じたり、「何かを味わうと手に形を感じる」といったケースもあり、複数の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいるとあった。

共感覚を持つ人の割合については、昔は10万人に1人などと言われていたが、最新の研究では23人に1人というものもあるということだ。

もしや、息子も痛みを色で感じているかもと思い、「痛みを色で感じることはある?」と聞いてみると「ない、ない、ぜんぜんない!」と息子。そりゃそうか。いままで、色で痛みを訴えることなかったからな。

さて、私の中で、この共感覚について、いろんな疑問が浮かび上がる。

・この共感覚というものを、小学生のときに意識的に封印していなければ、いまでも、痛みを色で感じる感覚をもっと研ぎ澄ませていたのだろうか?

・はたまた、この感覚が本物ならば、大人になったいまでも、明瞭に色を認識するのだろうか?

・感覚に本物とか本物じゃないとかあるのだろうか?

共感覚というものは、鈍るものなのだろうか?

など、いろいろ疑問はあるが、ひとつだけ分かっていることがある。それは、痛みを色で感じたところで、オーラが見える人のように仕事にはならないという現実だ。ただ「私は、痛みを色で感じる人、以上」なのである。

しかしながら〝日本共感覚研究会”を立ち上げた共感覚の研究者岩崎氏は「この独特の感性が、生きるうえで役立ったり、得意分野を伸ばしたりすることにつながる場合がある。もし子どもが「1が赤い」「犬の鳴き声が黄色い」など、共感覚者ならではの発言をしたら、否定せずに受け止めてあげてほしい」と言っている。

参考:こどもまなびらぼHPf:id:dragon0206:20210303120025p:plain

by photoAC でおさん

「でも、地獄のほうが面白そうだよな」by 爆笑問題ぴーちゃん

中京テレビで放送されている太田上田という番組の中で「でも、地獄のほうが面白そうなんだよな」爆笑問題の太田氏。

この「太田上田」という番組は、くりーむしちゅーの上田氏と爆笑問題の太田氏の2人だけのトーク番組。2人の人生哲学と笑いと知性とくだらなさが、ぎっしり詰まっていて、この世をもう少しだけ楽しんで生きてみようかなと思わせてくれる番組だ。

この番組の常連投稿者ポンプ屋のポンさんからの質問メールで「お二人は、亡くなった後、天国と地獄、どちらにいくと思いますか?」という質問への回答に対して、

上田氏が太田氏(この番組の中で、太田氏はぴーちゃんと呼ばれている)に「ぴーちゃんは絶対に地獄だよな」というと、ぴーちゃんは「なんでだよ!」と言いながら「でも、地獄のほうが面白そうなんだよな」と言った。

「天国は退屈そうだ。1日中ぼんやりしてさ、逆に地獄は、あちちち、いててて、とかやってさ、やめてくださいとか言ってさ、おすな!おすな!と言いながら、楽しそうだよな」とぴーちゃん。

それに対して上田氏も賛同しながら「でも、天国も楽しいかもしれないじゃん。好きな映画をとったりさ、好きな俳優たちとさ」と言いながら、そこに、太田氏の毒舌やボケが散りばめられ、上田氏のツッコミで、ブラックユーモアがさらに広がっていた。

太田上田」は、youtubeでは約5分でギュっと編集されている。また、この番組には、たまに、ゲストがやってくる。太田氏VS三谷幸喜氏の回では、太田氏の三谷氏への嫉妬愛にぴーちゃんのピュアな心があふれているし、上田氏の幼少期の駄菓子屋の回は、上田氏のやんちゃ時代に昭和の愛を感じる。

この2人の人生哲学に触れるたびに、”この世に、もう少し生きてみてもいいかもしれない”という不思議なエネルギーが私には湧いてくる。

私が落ち込んだときに、毎度救ってくれる回がある「#152​ 単独ライブについて語りました」である。ぴーちゃんが、そこまで落ち込むか?というほど落ち込んでいるのが、それに対しての上田氏の対応が、愛と笑いとブラックユーモアにあふれていて、落ち込む自分にも、小さな光をくれるのだ。

#152​ 単独ライブについて語りました(約5分)

www.youtube.com

丸山桂里奈氏のゲスト回も、元気をくれる(約5分)

www.youtube.com

行けるときに行きなさい。いつかという日は、いつやってくるからわからないんだから。

少し前に、口数の少ない夫が「これ、コスタリカで着ていたシャツだよ~!」と嬉しそうに言った。

2年前に、家族でコスタリカ旅行をしたときに、着たシャツということなのだが、時空を超えて、喜びを感じられる旅の思い出はすごいと感じた。

夫は口数も少ないが、表情もそんなに豊かではないので、この嬉しそうな顔に、コスタリカ旅行の思い出のチカラ、どんだけ~!と心の中で思った私であった。

昆虫好きな息子(当時8歳)が、ダーウィンがきた!というNHKの番組を観て「コスタリカ”なら”行ってみたい!」と言い出したことが、コスタリカ旅行のきっかけであった。

そろそろ、家族で海外旅行に行きたいと思っていた当時の私は、息子に「行きたい国はあるか?」とたびたび聞いていたが、息子は「日本でいい。海外はこわい、いかなくていい。」と言っていた。その息子が「コスタリカなら行ってみたい!」と目を輝かせて言った。夫も私も、コスタリカは未知の国だったので、テンションがあがり、いいね、いいね、いこう!いこう!と調べ始めた。

日本からアメリカ(ダラス経由)までは、貯まったマイルでビジネスクラスで行けることが分かった。息子の冬休みに合わせて、年末年始も重なっているため、なかなか3人分の空席がなかったが、行きは12月24日に3席、帰りは1月12日に3席を見つけた。3週間の旅かぁ、迷うなぁ、どうしようかなぁ、と決めかねたが、

「行けるときに行っておいたほうがいい。いつかという日は、いつやってくるか分からないんだから」という知り合いのお母さんの言葉を思い出した。知り合いの両親は、退職したら、夫婦で旅行を楽しもうと思っていたけれど、退職前に配偶者が亡くなってしまったのだ。

よし、いま、行こう!と決め、私たちは、2018年クリスマスイブから2019年1月中旬頃まで、コスタリカアメリカ・ダラスの旅を楽しんだ。

この旅の思い出を、しまうまプリントでフォトブックにしたのだが、これが本当によかった。時々、このフォトブックをみては、ウキウキしている。

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こちらのサイズは、A5スクエアサイズ。9冊作成し約3000円。2セット作成し、親にプレゼントすると「これ、もっと、もっとつくって販売したらどう?」と母親。誰が買うんじゃ、、、と思ったが、そんな風に思ってもらえるほど、このフォトブックは、とてもいい。

文字も入れられるので、そのときの思い出が写真とともに蘇りやすい。写真を選んだり、文章を考えるのは、大変な作業ではあるが(すべて夫がやりました)、後々、それ以上の幸福を感じることができる(私は何もやっていませんが、おおきな幸福を感じています)。

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↓「コスタリカで空を飛ぶ」山の高低差を利用し、ワイヤーにつるした滑車で一気に駆け抜けるアクティビティ=キャノピー。

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↓森を案内してくれたコスタリカ人のGさん(下写真、右)は、英語もスペイン語も話せない息子に、ポポポポポーとかぺぺぺぺぺぺポーなど、鳥の鳴き声で話かけてきた。息子も、Gさんの真似をして、鳥の鳴き声で返し、二人は、鳥の鳴き声で、楽しそうにコミュニケーションをとり、とても仲良くなった。これが、うわさのテレパシーなのか。

息子に「コスタリカ旅行の思い出は?」と聞くと、息子は必ずこのGさんのことを話す。

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世の中が落ち着いたら、次はどこに行こうかな。旅の計画も含めて旅行だ

www.n-pri.jp

心の病気じゃなくて、脳の機能の問題

以前、ある女優さんがテレビ番組で言っていた。母が高齢になって、とても怒りっぽくなって、些細なことでも、怒鳴りつけるようになってしまい、人格が変わってしまったと。人情のある優しい母親だったのに、大嫌いになってしまった。早く死んでしまえばいいとすら思ったほどだったと。しかし、その後、お母さんに脳腫瘍が見つかり、お母さんが変わってしまった原因が、お母さん自身ではなく、脳だったと分かったとき、とても救われた気持ちになり、これまでの母に対しての憎しみを詫びたというような内容だった。

もうずいぶん前に観た番組だったけど、深く心に残っていた。人格のせいじゃなくて、脳の機能が、そうさせてしまっていると知ることで、互いに救われる心があるんだと。

先日購入した「精神科医tomyが教える、1秒で不安が吹き飛ぶ言葉」という本の中に、こんな言葉があった。

<引用>

アテクシ、患者様に説明するとき、

「心の病気じゃなくて、脳の機能の問題なんですよ!」

というようにしているわ。

そっちのほうが的確な表現だと思うし

「心の病気」っていう表現はちょっと無責任な気もするから

心は心で、病気とか正常とか

そういう括りではないと思うの。

 <引用ここまで>

精神科医tomyが教える、1秒で不安が吹き飛ぶ言葉p60ページより

 心の問題ではなくて、脳の機能の問題と思うと、自己の心も、他者の心も守ってくれるような気がする。
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正直不動産 すべてを不動産屋任せにするべきではない。

麒麟・川島氏とかまいたち・山内氏”がマンガ愛を語る番組「川島・山内のマンガ沼」で紹介されていた「正直不動産(小学館)」というマンガ。

嘘八百でお客を騙し、売上NO1の不動産営業マンの永瀬。ある日、石碑を壊したことで祟られ、嘘がうまくつけない体質になってしまった。正直なことしか言えなくなった永瀬は、嘘をつかなくても、営業NO1になるにはどうしたらよいかと考え始め、正直不動産屋に生まれ変わっていくという話。

不動産情報が満載で、不動産屋さんが嘘をつくときは、こんな言い方するんだとか、とても勉強になるマンガ」と山内氏。

将来、息子が家を買うとき、借りるときに、役立つかもと思い、早速本屋へ。原案が夏原武氏と知り10巻まとめて購入。

夏原武氏は、クロサギという詐欺師のマンガの原案者でもあり、作家、ルポラーターでもある。ルポライターとは、事件や社会問題などを題材に綿密な取材を通して事実を客観的に叙述する文学の一ジャンル。昔、クロサギを読んで、夏原氏の綿密な取材はもちろん、人間模様の描き方が好きになったので、この「正直不動産」も期待をこめて即まとめ買いした。

レオパレス問題やフラット35、家賃保証型サブリースや地面師など、分かりやすく描かれていた。一般人が、地面師に会うことはないだろうが、庶民に関係のあるフラット35は、固定金利だからといって、安易に決めるものではないということがよくわかる。多くの不動産屋はデメリットは積極的に言わないし、あとから、なぜ教えてくれなかったのか、と詰めよったところで「聞かれなかったから答えなかっただけ」という返事が返ってくるだけだ。※すべての不動産屋が悪徳なわけではありません※

正直不動産の永瀬が「お客様にも問題があります」「お客様にも落ち度があります」というシーンがある。例えば、マンションを購入するなら、用途地域、計画道路の有無、耐震基準、建物構造の種類、リフォームの必要性など、これくらいは、もし不動産屋から説明がない場合、お客様から聞くべきだと。「これから長年、ご自身がお住みになる家を買おうとしているんです。すべてを不動産屋任せにするべきではありません(第3巻:あんこ業者(前編)より

人生で高い買い物のひとつ不動産を購入するのだ。後々トラブルになって「聞かれなかったから答えませんでした」と言われないように、情報収集はもちろんのこと、人生設計をしっかり考えることは必須であり、また、担当者の人間性を見極めることも必要だ、、、これがむずかしい・・・。

また、家を借りるときの仲介手数料。借り主と貸し主、双方が折半(0.5か月分プラス消費税)で支払うことになっているが、現状、借り主の全額負担なっていることが多い。これは、借り主、貸し主の承諾があれば、1か月分を上限に割合を調整できると国土交通省が告示しているためである。

不動産側から提示された「仲介手数料は借り主が全額支払う」という書面に、借り主がサインをした時点で、全額払うことに承諾したことになってしまうのだ。借り主と貸し主、折半であることを法令で定められていると知っていれば、不動産屋に交渉できる。

ただし、不動産側にとっては、大切なお客様は、借り主ではなく、オーナーなのである。貸す家がなければ、商売にならないため、不動産屋が大切にするのは、家をもっているオーナーとなる。仲介手数料を全額支払わなければ、借さないというオーナーもいるという。

2019年に120年ぶりに民法の改正があり、いままで曖昧だった敷金と原状回復のルールが明確化され、経年劣化によるクリーニング代などは貸し主負担になった。これから部屋を借りる場合、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」が参考になるだろう。

ほかにも、瑕疵担保責任や告知義務、欠陥マンションや公簿売買など、不動産情報が満載だが、それだけでなく、工務店と不動産屋の人間模様や、大手不動産と町の不動産の関係、営業マンの努力などなど人情味あふれるマンガ「正直不動産」。小学5年生の息子も、早速、はまっていた。

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また、リフォームについては「徹底的に考えてリノベをしたら、みんなに伝えたくなった50のこと(ちきりん著)」がおすすめだ。業者を決めるときの判断基準、また、どう情報を得るのか、どう思考するのかなど、とても勉強になる。

本日、2021年2月18日20時から、ちきりんさんの住宅政策についてのお話があるそうだ。

chikirin.hatenablog.com

10年後何が変わっているかと問うよりも、⁠10年経っても変わらないものは何か?

アマゾンの創業者のジェフ・ベゾス氏が、”10年後、何が変わっているかと問うよりも、⁠10年経っても変わらないものは何か?を問うことのほうが重要で、それに基づいて何をしていくべきかを考え目標設定すべきだ”と2020年の株主総会で語っていたという記事を知った。

先日CEOを退任したジェフ・ベゾス氏だが、この”10年経っても変わらないものは何か”が重要であることは、2020年よりもっと前に、たびたび語っていたようで、2012年の記事にも同様の内容があった。変わるものではなく、変わらないものを問うアマゾンの現在の成長に納得した。

「10年」という共通語から、ドラマ”MIU404”の中の「10年あったら何ができるかな」というセリフを思い出した。第7話(サブタイトル:現在地)で、強盗殺人犯が逮捕を逃れ、時効を待つために、10年間、窓もないゴミだらけの汚いトランクルームの中に隠れて生活していたが、結局仲間に殺されてしまったという第7話。

現場で、刑事役の伊吹(綾野剛)が、相棒刑事役の志摩(星野源)に「10年あったら何ができるかな」と切なく語りかけた。

志摩「英語がペラペラになれそうだな」

伊吹「うん」

志摩「プロの料理人」

伊吹「うん、いける」

志摩「世界中の刑事ドラマを全部観る」

伊吹「うん、いいね」

志摩「なんでもできそうだ・・・」

と、犯人の人生を憂う表情で切なく微笑みながら話すシーンがとても印象的だった。そして、

伊吹「俺が、交番に飛ばされて機捜に呼ばれるまでが10年。10年間誰かを恨んだり、腐ったりしないで本当によかった。俺はラッキーだったなぁ」と静かに噛みしめるようにつぶやいた。続けて、

伊吹「大熊(殺された犯人の名前)の不幸は、10年間ここから一歩も動かず、誰にも見つからなかったことだ。」

(引用:MIU404 第7話現在地 野木亜紀子オリジナル脚本)

いまの自分の現在地から10年後。どう変わるのか、どう変わらないのか、どう変わりたいのか。先日、60歳の女性に年齢を聞かれ「45歳になりました」と返したら、「あら!まだまだ若いわね、これからね」と。ほんとほんと、おっしゃる通り!。残りの人生、今日が一番若い日なのだ。

ネガティブケイパビリティ 不登校 とどまる力

「娘が学校に行かなくなってしまった」と友人。小学6年生になって、数か月後。最初は体調不良で休んでいたが、そのうち、行かなくなってしまったという。

学校で何かいじめがあったわけでもないようだ。担任の先生と話すために、親と娘が学校に行くと、たまたまクラスメイトに出会わしたが、隠れることもなく、明るく挨拶し、先生も親も明確な原因が分からないまま、様子をみている状態で、どうしたらよいか分からないという状況である。

家ではメイクを楽しんだり、町内の祭りには元気に参加したという。

帚木蓬生氏著の「ネガティブケイパビリティ=すぐには答えの出ない事態に耐える力」という本を思い出した。

ネガティブ・ケイパビリティ (negative capability 負の能力もしくは陰性能力)とは「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」。あるいは「性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力」を意味する。(著書より引用)

著者のクリニックには、不登校の子を連れて親が受診するそうだが、ほとんどの親が自分の子どもが、世の中の仕組みから落ちこぼれていくと恐れおののいているが、当の子どもは、いま自分が受けている教育がどこかおかしいと感じていると。

おかしいと感じているほうが、感じていない子より直感的に正しいかもしれない、と、いう箇所に私は納得した。

不登校というのは本人が選び取った避難所であり、本人が折り合いがつくまでとどまることが一番とあった。

このとき、本人が発揮しているのがネガティブ・ケイパビリティであり、同時に、親もこのネガティブケイパビリティを持つ必要がある。

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わが子が折り合いをつけて進む道を見出す時がくるまで、宙ぶらりんの日々を、不可思議さと神秘さに興味津々の眼を注ぎつつ耐えていくべきです(p196より)

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とあった。

問題解決を急ぐことなく、無理にポジティブにふるまうことなく、答えのでないグレーな状態を抱える力。ネガティブな状態にとどまる力を養うことは、長い人生を支えてくれるだろう。自分が抱いた違和感を大切にし、目をそむけず、心をそむけず、とどまり、立ち止まり、答えをだし、また歩みだす。人生は長距離走だ。

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「レディース&ジェントルマン」から「エブリワンへ」へ

20年以上前、ロンドンで英語を勉強しようと語学学校に申し込んだ。少し緊張しながら出席した初日、鼻歌とともにクラスに入ってきた女性の先生は「はじめまして~、ステファニーです(仮名)。ちなみに、わたしはレズビアンです」と、とても明るくハキハキと英語で挨拶をして、知的ユーモアあふれる楽しい授業だった。

翌日、とてもオシャレな男性の先生が「はじめまして、ジョンです(仮名)。わたしは、ゲイです」と穏やかな口調で挨拶をして、優しさあふれる授業をしてくれた。

こんな風に挨拶をするのは、珍しいかもしれないが、なぜか、私の英語の先生は2人とも、はじめての自己紹介で明らかにした。その意図は分からないし、意図などないかもしれないが、世間をまだまだ知らなかった私にとっては、カルチャーショックとともに多様性に触れ、ロンドンという街にますます知りたいと思った。

私は、英語を上達させるために日記を書き始め、ステファニーに添削をしてもらえないかとお願いすると、OK!OK!と明るく受け入れてくれた。業務外の仕事にも関わらず、毎回、丁寧に赤字で添削をしてくれ、細かく指摘をしてくれた。その頃の私は、生きるとは何か、みたいな思考で悶々としており、そんな内容であふれた日記に対して、ステファニーは、いつもブラックユーモアを交えたコメントや感想まで書いてくれ、交換日記のようだった。そのおかげもあり?ブラックユーモアの発想力が、英語よりも上達したと思う。

2017年にニューヨークの地下鉄アナウンスが「グッドモーニング、レディース&ジェントルマン」の言葉が「グッドモーニング、エブリワン」に置き換わったという。

www.huffingtonpost.jp

この変更に関して、行き過ぎているという人々もいたらしいが、行き過ぎているなんて、わたしは全く思わない。むしろ、いままで「レディース&ジェントルマン」という言葉に、何の疑問をもたなかった自分に反省をした。

LGBT運動団体のストーンウォール氏は、今回のアナウンス変更について、

「この言葉は、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーのコミュニティにとって非常に重要です。私たちにとって社会に受け入れられていると感じられるものです」というコメントが記事の中にあった。

「レディース&ジェントルマン」から「エブリワン」と、たった一言、言葉を変えるだけで変わる世界がある。