ゆ、ゆ、輸血だけは、しません。

誕生日の朝、陣痛ではじまり、

この痛みが何時間も続くのは、

苦しいと思い

早く産みたいと思った数年前の朝。

 

陣痛から16時間経過、、

あぁ、もう、疲れたなぁ~、と

がんばる気力がなくなり、

 

夫に、

「もうさ、今日、

うめなくてもいいよね?

せっかく、誕生日に陣痛きたし、

このまま出産できればいいかなと

思ったけどさ、

しょうがないよね、

こればっかりは」と言うと、

 

「糸井重里が言ってたんだけど、、」

と、夫。

 

え?は?、と私。

 

「糸井重里が、会社経営で、

黒字をだすつもりで、

結果、赤字になってしまった

というのは、仕方ないけど、

最初から赤字でいいやの気持ちで

赤字になるのはダメだって」

と夫。

 

「へ、へ~」私。

 

「がんばってだめだったのと、

あきらめてだめだった、のは、

同じだめでも、

それは、まったく違うだめになる。

だから

最後まであきらめないほうがいい」

と夫。

 

 

 

はぁ?はぁぁぁぁぁ???

いまなら、即効、シャラップ!

シャーーーラッーーーープ!!

例えるにも、

ほかの例があるだろう!!!!と

 

叫びたいところですが、

当時は、素直だったのか、

痛みがひどく、

そんな気力もなかったのか、

 

蚊のなくような声で、

あ、そ、そう、、、、

う、うん、わかった、

がんばりやす、

と、リトルボイスのわたし。

 

「く、黒字になるために、

あちき、最後まで、がんばりやす」

 

じょじょに、メラメラと燃えてきて、

最後まで、あきらめてはいけない!!

あと3時間、

やるっきゃない!やるっきゃない!

 

スチュワーデス物語の

チアキ、再登場。

夫は、もはや、ヒロシ教官。

 

痛みがくるたびに、

すべての力をつかって深呼吸、

 

それは、まるで、

三木良介のロングブレスのよう。

 

目からも、耳からも、腕からも、

すべてをつかって、

シャーーーーーーー!と息を吐く。

(当時はまだ、

ロングブレスはありませんでしたが、

イメージとしては、

そんな意気込みで呼吸。)

 

子宮口が開いたぞー!

というイメージして、

あたかも、すでに、

全開になったことをイメージしながら、

 

痛みがきたら、

シャーーーーーーーー!と吐き、

三木良介氏、君臨!

(あくまでもイメージです。)

 

それを繰りかえし、

三木氏を繰りかえし、

22時頃だったか、

これまでにない痛みを感じる。

 

この世のものではない痛み。

新たな日本語をつくる必要があるよ!

と思う感覚。

 

子宮口をみてもらうと、

だいぶ開いてますね、

分娩室に移動しましょう、

と言われ、

 

よーーーーーし!!!

ありがとう!三木氏!

(あくまでもイメージです)。

ありがとう!ロングブレス! 

 

分娩室まで、

あ、あ、あ、歩いてですか??と

思いながら、

1歩1mmの間隔でしか、

進んでないんじゃないかと思うほど、

分娩室が遠い・・・・・・・・

 

やっと到着し、

分娩台に横になり、

頭上には夫がいました。

↑陣痛中に黒字経営を目指せ!と言った人。

 

「名前、なににしようかなぁ~、

おとこのこかなぁ、おんなのこかなぁ」

と夫が、ぶつぶつと言っている。

 

これは、私をリラックスさせるために、

なにか言わなきゃ、と、

夫なりの思いやりだと、

後日わかる。

 

分娩台の上でも、

ロングブレス精神で、

呼吸を繰り返し、

23時、おぎゃー!おぎゃー!

ンギャー!ンギャー!だったかな?

どっちでもいいか!

 

男の子ですよ~、と顔をみせてくれて、

よかったーーー!これで、黒字経営達成!!

シャーーーーーーーー!!!

 

そこから、ふっと、意識がきえる私。

 

ヤーコンさーん!(仮名)

ヤーコンさん!!!

寝ちゃだめですよー!

絶対に寝ちゃだめですからね~!

と叫ぶ声で、意識がもどり、

医師が処置をしていることを認識。

 

陣痛とはまた違う

激しい痛みの処置でしたが、

 

痛みより、麻酔より、

最優先は、目をとじてはいけない、

三途の川を渡りたくなければ、目をあけろ!

 

激しい痛みのおかげで、

目を閉じたくても、

閉じれませんでした。

 

あまりに痛くて、

先生、痛いです、まだですか?

と何度も聞いていた記憶あり。

 

ヤーコンさーん!ヤーコンさーーーーーん!

しっかり!!!しっかりね~!!!!

寝ちゃだめですからね~!!!

と、大きな声をかけてくれる助産師さん。

 

意識もうろうの中、

輸血してもいいですか?と

いうような質問をされて、

 

蚊のなくような声で、

「ゆ、ゆ、輸血だけは、

し、し、しません・・・」

と答えた記憶があります。

 

胎盤がでてこず、

出血2リットル以上になり、

意識不明になりかけたことを

翌朝知りました。

 

安静のため、分娩台の上で

一夜を明かすことになった

今日は私の出産記念日。