M-1 と 浅草キッド

今年も、M-1が終わった。

毎年、M-1を観るときは、
正座の心で真剣に観る。
この4分間の漫才のために


どれだけの時間と心と人生を
賭けてきたのかと思うと、
私のお腹は熱くなってきて
人生を賭けるくらいのものに
出会えた芸人さんたちが
うらやましくなる。


負けたときの表情は
言葉では言い表せない
いろんな感情が
鉛や鉄みたいに
重さで伝わってくる。


「“うらやましい”という
言葉を使うときは、
その人の闇の部分も
感じないといけない。
一面だけみて
“うらやましい“なんて
そう簡単に使っては
いけない言葉だ」


と、昔、誰かが言っていたけど、


闇の部分を感じたうえで
うらやましいと思っている。

いや、むしろ、
闇のほうに魅了されているのだ。
その闇のほうに興味があるのだ。
もっと闇のほうを知りたいのだ。


「泥中之蓮」


美しい蓮の花を咲かせるためには、
ドロドロの泥を含む汚れた水が必要で、

逆に、綺麗に澄み渡る真水では、
ここまで美しく大きな花は
咲かないらしい。

闇の部分を知りたくて、
M-1のあとの反省会や分析を
M-1よりも真剣に観ている自分がいる。

===========

劇団ひとり氏や
ナイツの塙氏が好きだ。

“孤高”に魅力を感じている。

劇団ひとり監督の
浅草キッド」を観た。

柳楽優弥ビートたけし役が
とてもうまくて、
さすがの役者さんだと思っていたが、


先日、ラジオを聴いていたら、
その裏には、
ものまね指導の松村邦弘氏の
存在があった。

柳楽さんのビートたけし役が
あまりにできなくて、
緊迫した現場に
松村氏が呼ばれたとのこと。

===========

今回のものまね指導について
松村氏がラジオで言っていたことが
ステキだった。

「僕は勉強できなくて、
頭も悪いんで、
分かるまで教えてもらうと
分かるタイプで

だから、
その人が分かってないのが、
よくわかるんで
丁寧に教えてあげることは
できるんですよね。

学校の先生が、
頭が悪いほうが、
噛み砕いて
教えてあげられるみたいな。

分からない人の気持ちが分かる。
柳楽さんが、
ここで苦しんでるとか
よくわかったから、
丁寧に教えただけというか。

監督が本当に厳しかったから

柳楽くんも、どうしていいか、
分からなくなっていた苦しい状況で、

指導というよりは、
ブルペンキャッチャーのように
土を和らげる気持ちで
やっただけなんですよね」と。

===========

別のラジオで、大泉洋さんが、

「監督は、柳楽さんに、
本当に厳しくて、
要望や注文がすごいうえに、
よくできても褒めないから、

最後の最後まで、柳楽さんは、
不安で仕方なかったみたいで、


出来上がりの試写会をこわくて
観れないって言っていたんです。

でも、勇気をだして観たら
その出来上がりに感動して
監督が大好きになったって
言ってました。

たぶん、撮影中は大嫌いだと
思ってましたよ(笑)」

と。
===========

闇が深ければ深いほど、
輝きは輝きを増す。

漫才や映画に限らず、

あぁ、この人いいなぁ
と思う人は

内向的な魅力を感じる。

そうだ、
又吉氏、も、大好きだ。

ひとりでいるときに
どれほどの自問自答を
繰り返しているだろう。

あの内向的な部分が
とてもまぶしくて
惹きつけられて
うつくしくて
やさしくて
癒される。