「静かで賢明な自分」に出会うために日記を書く

先日読んだ本「人生で起こること すべて良きこと(田坂広志氏著)」の中で、 誰にも読まれない日記を書くことで「静かで賢明な自分と対話」ができるようになるとありました。

静かで賢明な自分とは、起こった出来事の意味を教えてくれる自分。いま自分が何を学ぶべきか教えてくれて、その学びの課題に気がつかせてくれて、自分の人生は自分が引き受けるのだと教えてくれる存在。そして、自分の人生を引き受けることができるようになると、真の強さを身につけていくことができるという。

誰にも読まれない内省日記で、誰にも語れない自分自分の感情や思いを自由にありのままに書く。そして、冷静になり、心を整えた状態で、それを読み直すと自然に、もう一人の自分=静かで賢明な自分が現れ、自然と対話が始まる。そうすると、「最初の感情」とは「反対の感覚」が浮かび上がってくるとありました。

反対の「感情」ではなく「感覚」というのが、なんだか不思議であり、でも、その感覚に妙に納得する自分もいました。

例えば、何かに対する嫌悪感を生々しい言葉でありのままに書いていくと、ある段階で、その嫌悪感とは別の「感覚」が浮かび上がってくる。

自分の経験上、例えば、上司の愚痴を思う存分に、友達に聞いてもらって、すっきりすると、でもなぁ、あの人も、そこまで悪い人じゃないかもしれないなぁ、わたしみたいなおっちょこいの部下だと上司のほうがストレスかもなぁ、明日は、ちょっと、上司に自分から話しかけてみようかな、なんていう感覚というか気持ちがわいてくることがある。

わいてこないこともあるけれど・・・それは、きっと「ある段階」にきていないときかもしれない。毎回、思う存分愚痴を言えるわけでもないし、友人の負担を考えると、遠慮してしまうこともある。

その点、内省日記は、とにかくありのままの出来事や気持ちを思う存分に、生々しく書ける。誰にも見せないのだから、心は自由だから、何を書いてもいい。ありのままの感情を思う存分だした先にある段階=静かで賢明な自分が待っているのだろう。

人は「何かひとつのことを言うと、全く別のことを言いたくなる」これは臨床心理学の河合隼雄さんの言葉。

「内省日記」はセルフカウンセリングとなり、「静かで賢明な自分」がカウンセラーとなって、自己対話を促してくれる。

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我々には、言葉にて語り得るものを語り尽くしたとき

言葉にて語り得ぬものを知ることがあるだろう

by ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考

「人生で起こること すべて良きこと(田坂広志氏著)」より

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