軽やかに生きるって?

芸能人でも、知り合いでも、友人でも、ステキだなと思う人は、なんだか、軽やかに生きてる人だなぁと思った。とても気持ちよさそうで、生きていることに清々しさを感じる人。

私も軽やかな人になりたい、軽やかに生きたいと思い、よし、軽やかな人な目指すぞ!と決めたものの、あり?軽やかって何?軽やかに生きるって何?生きていることに清々しいって何?という疑問が浮かび、何をすれば、軽やかになるのか?が全く分からなかった。

 ”軽やか”と一言でいっても、人それぞれ、定義は違うだろう。

自分にとっての「軽やかに生きる」って何なのか?自分は、どうやったら軽やかに生きれるのか?自分なりの「軽やか」の定義を見つけるために、

しばらくの間、軽やかに生きていると思われる人たちを観察したり、日常の中で、自分自身が軽やか!と感じたときの自分を観察してみた。

すると「軽やかに生きる人=ニュートラルで生きる人」という答えがみえてきた。ニュートラル、つまりは、中立だ。

何か問題が起きたときに、いいとか悪いとか、善とか悪とか、ポジティブだとかネガティブだとか、あいつが悪い、そいつが悪いとか、二元論的な極端な結論ではなく、問題を客観的に捉えて、偏った意味づけをしない。

そして、たとえ、偏った意味づけをしてしまったときも、「あぁ偏った意味づけをしてしまった・・・わたしはダメだ」と、悪いOR良い、という二元論ではなく、

「偏った意味づけをしてしまうこともあるさ」と自分自身の感情をありのままに受け止め、感情にもニュートラルでいられる人、自分自身をありのままを肯定している人は軽やかだ。

1)外の出来事にも自分の感情にもニュートラルでいること」

2)自分のありのままを肯定すること

軽やかに生きるにためは、この2つが軸だな、という自分なりの答えをみつけて、ニュートラルと自分を肯定することを実践し始めた私。でも、これがなかなか、最初はむずかしい。二元論で判断してしまっていることが多々あり、自分の感情を否定してしまうのだ。そんなときは、気分が暗いし、重い。

最初は、ニュートラルを思い出すことに時間がかかった。重い気分が長く続いたあとに、あ、そうだった、ニュートラル思考だった、ニュートラル感覚!と思い出す。そうすると、自分の感情に気づき、あ、そうだった、そうだった、自分のありのままを肯定するだった、と思い出す。その繰り返し。忘れては思い出し、思い出しては忘れるの繰り返し。ニュートラル思考を思い出し、ありのままの気持ちや感情を肯定すると、心がふわっと軽くなる。とても気持ちがいいことがわかった。

気持ちよさがわかるようになると、だんだん、ニュートラルを思い出す時間が短くなり、ニュートラル思考に、短時間でアクセスできるようになり、心が軽やかな時間が増えてきた。

これを何度も繰り返し、反復してやっていくことで、少しづつニュートラル思考とありのままの自分を肯定するという循環が、自分のものになっていくという感覚になった。

まだまだではあるが、軽やかに生きるを目指していたら、前よりずっと人生が楽になっていた。ニュートラル思考&感覚とありのままを肯定する習慣を続けていき、もっと軽やかに生きていきたい。