「共感覚」痛みに色を感じる小学生

小学生の頃、痛みを感じるたびに、色を感じていた。

世の中のみんなも、痛みを色で感じていると思っていたので、例えば、お腹が痛いという友達に「大丈夫?何色の痛み?」「紫?オレンジ色?」などと話しかけていた。すると、友人たちは「え?」という怪訝そうな反応があるだけで、色で表現してくれることはなかった。それに対して、私も「え?あれ」という気持ちになっていた。

病院の診察でも「すこし薄い青とピンクのような痛み」だと伝えると、医師は「ん??」というような反応で、私は「あれ?なんで伝わらないんだろう」という不思議な気持ちになった。この感覚は母にも伝わることはなかった。

そんなことを繰り返しているうちに、私の感覚がおかしいのかなと思うようになり、痛みを色で聞いたり、伝えることをやめ、封印することにした。という小学生時代を、最近になって思い出した。

思い出したきっかけは、10歳の息子の同級生が「私は人の感情が色でみえるんだ」という言葉だった。最初は、へぇそうなんだと思いながら「おばちゃんの今の感情は、何色に見える?」と聞いたりして、面白いなぁと思ったくらいだった。その後「あれ!そういえば、小さい頃、痛みを色で感じてたな!」と、小学生時代の自分を思い出したのだった。

調べてみると「共感覚(シナスタジア)」という現象らしいことが分かった。共感覚とは”ひとつの感覚の刺激によって、別の知覚が不随意的に起こる現象”と定義されている。

痛みを感じると色を感じるのは、珍しいケースらしく、文字を見ると色が見える「色字」が共感覚の代表で、音を聴くと色が見えるという「色聴」もある。また、味や匂いに色や形を感じたり、「何かを味わうと手に形を感じる」といったケースもあり、複数の共感覚を持つ人もいれば、1種類しか持たない人もいるとあった。

共感覚を持つ人の割合については、昔は10万人に1人などと言われていたが、最新の研究では23人に1人というものもあるということだ。

もしや、息子も痛みを色で感じているかもと思い、「痛みを色で感じることはある?」と聞いてみると「ない、ない、ぜんぜんない!」と息子。そりゃそうか。いままで、色で痛みを訴えることなかったからな。

さて、私の中で、この共感覚について、いろんな疑問が浮かび上がる。

・この共感覚というものを、小学生のときに意識的に封印していなければ、いまでも、痛みを色で感じる感覚をもっと研ぎ澄ませていたのだろうか?

・はたまた、この感覚が本物ならば、大人になったいまでも、明瞭に色を認識するのだろうか?

・感覚に本物とか本物じゃないとかあるのだろうか?

共感覚というものは、鈍るものなのだろうか?

など、いろいろ疑問はあるが、ひとつだけ分かっていることがある。それは、痛みを色で感じたところで、オーラが見える人のように仕事にはならないという現実だ。ただ「私は、痛みを色で感じる人、以上」なのである。

しかしながら〝日本共感覚研究会”を立ち上げた共感覚の研究者岩崎氏は「この独特の感性が、生きるうえで役立ったり、得意分野を伸ばしたりすることにつながる場合がある。もし子どもが「1が赤い」「犬の鳴き声が黄色い」など、共感覚者ならではの発言をしたら、否定せずに受け止めてあげてほしい」と言っている。

参考:こどもまなびらぼHPf:id:dragon0206:20210303120025p:plain

by photoAC でおさん