常識に押しつぶされそうになったら「本当にそうなのか??」と自分に問うてみる

「挨拶ができないやつは、ろくなやつがいない」「挨拶ができない人は絶対にだめだ」などと言う人がいるが”本当にそうなのか??”と疑問を抱く。

挨拶ができる詐欺師はいるし、挨拶ができなくても心優しい人を私は知っている。また、挨拶も愛想もよいが技術がない医者もいれば、愛想も挨拶もないが技術がある医者もいる。私だったら、挨拶も愛想もない腕のいい医師に診てもらいたいと思う。

世の中には、誰が考えたのか分からない常識があふれ、無意識に生きていると、世間の常識が自分の中に内在化し、世間の常識=自分の常識となってしまい、息苦しくなってしまうことがある。そんなときは、いつのまにか内在化してしまった自分の常識に「本当にそうなのか??」と自分に問うてみる。

誰かに否定的な何かを決めつけられたときも「本当にそうなのか??」の問いは役に立つ。例えば、同僚に「〇〇さんて、ほんとに要領悪いよね」と決めつけられたとき。「私は要領が悪いのか・・・」と受け止める前に、「本当にそうかな??」と問うてみる。そうすると「仕事は遅いかもしれないけど、ミスは少ないし、納期には間に合ってる。要領が悪いわけではなく、慎重ともいえるよね」なんていう答えが自分からでてくるかもしれない。

または「要領が悪いってなんだ?ずいぶん抽象的で感情的で曖昧な表現だな。要領が悪いっていうのは、あなたと同じペースじゃないってだけかも」なんて答えもでてくるかもしれない。

また、考えを押し付けられたときにも「本当にそうなのか??」と問うてみる。例えば、義母に「子どもは、絶対に大学に行かせるのが親の使命よ!だから親としてしっかり教育してちょうだいよ」と押し付けられたら、「本当にそうなのか??」と問うてみる。そうすると「そうとは限らないよな。そもそも、親の使命って何?そういわれてみれば、そんなこと考えたことなかったなぁ、親の使命って何だろう?」と次の疑問がでてくるかもしれない。

こうやって、自己対話をしていくと、自分なりの答えが必ず見つかり、その答えが自分軸をつくり、自分の人生を支えてくれると思う。

ちなみに、我が家では、夫も10歳の息子も私も「絶対」という言葉をできるだけ使わないように気をつけている。

絶対の意味を辞書で調べてみると「他との比較対立を越えていること」とある。「絶対」という言葉を使ってしまうと、その他の選択の可能性をなくしてしまうのだ。 

世の中に「絶対」なんてことは「絶対」にないのだ。本当にそうなのか??